アンサンブル
#8 実母か恋人か―幸せにするために
3月8日(土)放送分
俳優の横浜流星さん主演のNHK大河ドラマ「べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~」(総合、日曜午後8時ほか)では、横浜さん演じる蔦屋重三郎があの手この手で吉原を懸命にPRする姿が描かれている。江戸には幕府公認の吉原遊郭のほか、岡場所と呼ばれる非公認(非合法)の遊里が60カ所前後あった。岡場所は吉原に比べて安い料金だったし、面倒なしきたりがないから気軽に遊ぶことができた。
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本来、岡場所は当局の摘発対象だった。検挙された遊女は吉原で3年間ただ働きの罰を受けた。遊女屋が入札で受け入れる遊女を買い入れ、落札金額は町奉行所に納められる。だが、老中首座・松平定信が進めた寛政の改革(1787〜1793年)、老中・水野忠邦が進めた天保の改革(1841〜1843年)の時期を除いて、岡場所の取り締まりは徹底されなかった。
吉原の外でどのような風俗ビジネスが展開されていたのか、前編と後編の2回にわたって紹介する。
老中・田沼意次が政治の実権を握っていた時期、幕府は岡場所には寛容で黙認状態だった。むしろ推進していたといえよう。田沼が率先してつくった遊里があったからだ。隅田川河口の湿地帯だった中州の埋め立て計画を推進し、東京ドームほどの広さの土地を造成。現在のラブホテルともいえる出会い茶屋、料理茶屋などを設置し、多数の遊女を抱えていた。
当時、吉原VS岡場所の“ビジネス競争”の最前線に立っていた蔦重は、まさに孤軍奮闘を強いられていた。
江戸で人気だったのは、深川の岡場所だ。現在の江東区の西半分にあたる地域で、門前仲町とその周辺に7カ所の岡場所があり、江戸最大の遊里だった。富岡八幡宮の門前には料理茶屋が軒を連ね、1軒あたり10人ほどの美女を置いていた。
江戸の地誌「紫の一本(ひともと)」は、唄と三味線、踊りを披露する芸者も人気で、深川の風流さは吉原をしのぐと指摘している。深川は江戸の南東(辰巳)の方角に位置しており、深川の芸者は辰巳芸者と呼ばれた。
やがて辰巳芸者は独自の進化を遂げた。男物の羽織を着用し、芸名も男の名を名乗るようになった。歌舞伎の女形の髪形を好み、歌舞伎役者の髪結いに結わせていた。勇み肌で自分の意志を貫き通す潔いスタイルが特徴。遊女も辰巳芸者の流儀を受け継ぎ、男の名を名乗り、意に沿わぬ客ならカネを積まれてもプイと出て行くような、毅然とした態度だったと伝えられている。
そんな男気があって粋(いき)な遊女や芸者に、男たちは惹かれた。深川では、“江戸っ子気質”は男女が逆転していたような雰囲気をかもし出していたのであろう。
大坂の狂言作者、西沢一鳳(1802〜1853年)は江戸に来て驚いたことがあったという。それは「上方に比べて、江戸の女は威勢がいい」ことだった。
「江戸では女が少ないために、男に媚(こ)びる必要はなく、自然と女が景気だってきて威勢がいいのだろう。器量がまずくても小さいうちから芸を仕込めば、武家屋敷に奉公できる。行き先はいくらでもあるから、小娘のうちから気が強い。そういう調子だから亭主も女房に頭が上がらない」といった持論を述べている。
「世事見聞録」という江戸の風俗随筆にも「長屋に暮らす女たちは、夫が働きに出ると集まって夫の愚痴を言い合い、酒を飲んだり、芝居見物に行ったり、博打をしたりして過ごす。夫が帰ってくると煮炊きをしろとこきつかう」と書かれていて、“かかあ天下”ぶりを強調している。
確かに江戸の女性は少なかった。江戸の町人を対象に1721年、最初の人口調査が実施された。それによると、男32万3285人、女17万8109人で、男65%、女35%の比率だ。江戸は人工的に建設され続けた都市なので男の職人が多かった。商家の従業員も男が多い。その後は徐々に女性が増え、幕末になって町人の男女比はほぼ同率になる。
深川の男気のある芸者と遊女に人気があったのも、かかあ天下の暮らしに通じているのだろうか。
深川がにぎわっていたもう一つの理由として、「深川区史」(1926年)は面白い見解を披露している。「江戸幕府が黙認の態度をとったのみならず、むしろひそかに助成した傾向があったからだ」と述べ、深川の岡場所は「幕府による新開地の地域振興政策」だというのだ。深川は江戸のゴミを埋め立てて造成された新開地だった。ゴミ処分場だった土地にわざわざ住む人はいない。にぎやかな場所にするために深川に「酒色の遊び場」を黙認したのだという。
周辺に岡場所があった富岡八幡宮は、現在の大相撲の源流となる勧進相撲(入場料金を徴収する相撲)発祥の地でもある。1684年から約100年間、境内で勧進相撲が開催されたが、これも地域振興策の一つだった。
吉原は江戸時代、18回も全焼火災に見舞われているが、再建するまでの間、他の地域で営業する。これを「仮宅(かりたく)」と言うが、仮宅は深川に設けられることが多かった。人気の岡場所に吉原も仮営業するということで、客が多くなり普段よりももうけが多かった。遊女も自由に外出できた仮宅を喜んだ。このため、吉原では火災が起きても、あえて消火活動をしなかったと伝えられている。18回も全焼したのにはそんな背景がある。
吉原にとって深川の岡場所は最大のライバルだった一方、持ちつ持たれつの関係だったかもしれない。(文・小松健一)
小松健一(こまつ・けんいち) 1958年大阪市生まれ。1983年毎日新聞社入社。大阪・東京社会部で事件、行政などを担当。その後、バンコク支局長、夕刊編集部長、北米総局長、編集委員を歴任し、2022年退社。編集委員当時、時代小説「鬼平犯科帳」(池波正太郎著、文春文庫)の世界と、史実の長谷川平蔵や江戸の社会、風俗を重ね合わせた連載記事「鬼平を歩く」を1年以上にわたり執筆。それをベースに「『鬼平犯科帳』から見える東京21世紀〜古地図片手に記者が行く」(CCCメディアハウス)を出版した。現在は読売・日本テレビ文化センターで鬼平犯科帳から江戸を学ぶ講座の講師を務めている。
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