解説:遊郭通いで父親の蓄えを食い潰した 「べらぼう」の若き“鬼平”、実は史実通り! 高慢なキャラも

大河ドラマ「べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~」で中村隼人さん演じる長谷川平蔵宣以 (C)NHK
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大河ドラマ「べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~」で中村隼人さん演じる長谷川平蔵宣以 (C)NHK

 俳優の横浜流星さん主演のNHK大河ドラマべらぼう~蔦重栄華乃夢噺~」(総合、日曜午後8時ほか)では、歌舞伎俳優の中村隼人さん演じる長谷川平蔵宣以(以下、平蔵)の描き方が話題になった。家柄を鼻にかけ、吉原の花魁・花の井(小芝風花さん)に入れあげた挙げ句、蔦屋重三郎(横浜さん)のカモにされ、SNSでは「カモ平」のあだ名を付けられてしまった。28年間にわたって故・中村吉右衛門さんがテレビシリーズ「鬼平犯科帳」(フジテレビ系)で好演した平蔵とのギャップに戸惑った視聴者も多かったようだ。

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 実は「べらぼう」で描かれた遊び人の若き平蔵は、史実の平蔵の死去から4年後の1799年に書かれた「京兆府尹記事(けいちょうふいんきじ)」の平蔵評に忠実だ。現代語で要約すると「遊里(遊郭)に出入りし、悪い仲間と遊び、父親が蓄えた財産を使い果たした。名の通った遊び人だった」。「べらぼう」第3回(1月19日放送)でも、平蔵は花の井に宛てた手紙で「親が遺した蓄えを食い潰したからもう(吉原に)来られない」と伝えていた。

 史実の平蔵は、父の死去に伴い、1773年9月に28歳で家督を相続。翌年4月に西の丸書院番士として初就職する。書院番は旗本のエリートコースの出発点とされ、西の丸で将軍世子(世継ぎ)の警護を担当した。当時の世継ぎは徳川家基。「べらぼう」では奥智哉さんが演じる。平蔵は家督を継いで就職するまでの7カ月間で、吉原に通い詰め遺産を使い果たしたことになる。

 ◇田沼意次にごますりして出世? 周囲の妬みも

 鬼平ファンが抱いている平蔵のイメージは、テレビシリーズ「鬼平犯科帳」とともに、原作となった池波正太郎さんの同名時代小説の影響が大きい。遊び方がスマートで、剣の達人。悪には厳しいが、下情に通じ、お情けの裁きをする。

 当時の史料、文献には「鬼平犯科帳」に近いイメージの平蔵が記述されている。火付盗賊改方(火盗改)として市中を見回っていると、長屋で派手な夫婦げんかがあり人だかりが出来ている。平蔵は仲裁に入り騒ぎを収めた。その後も時折、長屋を訪れて夫婦が仲良くしているかを見届けるなど庶民の暮らしぶりに気を配っていた。盗賊を次々と摘発した平蔵の手腕を「神業」だと人々は驚いている。捕らえた盗賊の身なりが粗末だったので着物を買い与えた……。

 他方で、“ごますり”の側面も持ち合わせていた。火盗改になる前のことだが、火災があり、時の権力者である田沼意次の屋敷に火の手が近づいていることを知った平蔵は、仕事を休んで田沼屋敷に駆けつけ家人や奉公人を避難させた。そして避難先に予め妻に頼んでおいた夜食を運ばせ、高級和菓子も届けさせた。意次は家人から話を聞いて感動したと伝えられている。

 その後、平蔵はトントン拍子で出世し、41歳の若さで先手組の頭に抜てきされた。当時江戸の治安維持を担った先手組は34組あったが、平蔵はその中で最年少の組頭だった。

 意次が失脚し、政権を握った松平定信は平蔵を先手組頭の兼務として火盗改に登用。平蔵は盗賊摘発の実績を積み重ね、庶民から喝采を浴びた。一方で悪評も絶えなかった。見回りの途中で困窮した人がいると金銭を与えたり、自ら捕縛して刑死した者の墓塔を設けて弔ったりした平蔵を、スタンドプレーだと揶揄(やゆ)する旗本もいた。

 平蔵が職務に必要な費用の工面に知恵を絞っていると、金儲けに目がくらんだ「山師」と批判された。庶民の人気が高かった平蔵は、他の旗本たちの妬みを買っていたとみられる。

 ◇カッコいいイメージばかりではなかった

 当時の旗本の行状や評判を記した「よしの冊子」には、こんな平蔵評もある。「平蔵は高慢なところがあり、いつも『俺が、俺が』と自慢話をする」「自分ほど盗賊を捕えるのが上手な者はいないと言って『今の町奉行は何の役にも立たない』と嘲笑している」……。

 平蔵の父・平蔵宣雄は、火盗改から京都西町奉行に昇進したが、平蔵は実績を上げても上の役職に就くことはなかった。「どれだけ仕事に励んでも、上役から声がかからない。もう力が抜け果てた。これから酒ばかり飲んで死ぬことになるのだろう」と親しい知人に愚痴をこぼしている。現代のサラリーマンの嘆きそのものである。

 生身の平蔵は、中村吉右衛門さんが演じたカッコいいイメージばかりではなかった。

 蔦屋重三郎は平蔵が生まれた4年後(※1、1750年)に生まれ、平蔵が死去した2年後(1797年)に亡くなった。田沼意次の時代に、ともに持ち前の才覚、破天荒さを発揮して、蔦重はビジネスを開拓し、平蔵は出世の階段を上り始めた。

 「べらぼう」第3回では、花の井のために平蔵がつぎ込んだ50両が、蔦重が作った「一目千本」の資金になり、吉原はにぎわいを見せる。蔦重の策略に乗せられたことを知らない平蔵を愛おしむように、花の井が「50両で吉原の河岸を救ったなんて、粋の極みじゃないかい」と蔦重にほほ笑む様子が描かれた。

 隼人さん演じる平蔵が、蔦重と交わりながら今後、どんな物語を紡いでいくのか楽しみだ。(文・小松健一)

※1:長谷川平蔵の生年月日は公式に分かっておらず、大名や旗本の系譜を記した「寛政重修諸家譜」で1795年に50歳で死去と記録されている。このため逆算して1745年生まれとする文献もあるが、当時は数え年なので1746年とする説が有力である。平蔵の屋敷跡に説明板を出している墨田区教育委員会も1746年生まれとしている。文中での平蔵の年齢も数え年表記である。

 ◇プロフィル

 小松健一(こまつ・けんいち) 1958年大阪市生まれ。1983年毎日新聞社入社。大阪・東京社会部で事件、行政などを担当。その後、バンコク支局長、夕刊編集部長、北米総局長、編集委員を歴任し、2022年退社。編集委員当時、時代小説「鬼平犯科帳」(池波正太郎著、文春文庫)の世界と、史実の長谷川平蔵や江戸の武家社会を重ね合わせた連載記事「鬼平を歩く」を1年以上にわたり執筆。それをベースに「『鬼平犯科帳』から見える東京21世紀〜古地図片手に記者が行く」(CCCメディアハウス)を出版した。過去には旅行会社主催の鬼平犯科帳の舞台散策ツアー案内人を務めたほか、FMえどがわのトーク番組「日本のカタチ 江戸はこんなに面白い」にレギュラー出演した。現在は読売・日本テレビ文化センターで鬼平犯科帳から江戸を学ぶ講座の講師を務めている。

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