この「ファーストサマーウイカ インタビュー」ページは「ファーストサマーウイカ」のインタビュー記事を掲載しています。
吉高由里子さん主演の大河ドラマ「光る君へ」(NHK総合、日曜午後8時ほか)にききょう/清少納言役で出演しているファーストサマーウイカさん。第6回「二人の才女」(2月11日放送)で初登場し、その出番以上に、ドラマの盛り上がりに貢献し続けてきた印象だ。物語が終盤へと差しかかる中、この1年間「常に自分に大河を課そうとした」というファーストサマーウイカさんに話を聞いた。
◇「ほぼ私」だったききょう/清少納言役との“乖離”
ドラマは10月25日にクランクアップ。すでに役を演じ終えていたファーストサマーウイカさんは「あっという間でした」と振り返る。
「本当に1年たつのが、今までの人生で最速に感じました。毎回、緊張があって、その分、撮影1回1回の重みというものも感じましたし、出てくるたびに年をとって話も大きく進んでいたので、そこへの対応への意識や比重も大きくて。だから常に、緊張感とワクワクのある1年でもありました」
以前のインタビューで、ききょう/清少納言役に対して「ほぼ私」と強い親近感を抱いていたファーストサマーウイカさんだが、その人生を演じ切った今、思うのはどんなことなのだろうか。
忠誠を尽くしてきた定子(高畑充希さん)が亡くなったあとの悲しみが、道長(柄本佑さん)に対する憎しみへと変わる過程で、自らの手で、まひろ(吉高さん)との友情さえも壊してしまったききょう。
「自分にとっての光を失ってどう生きるのか、ききょうを通してより感じるようになった」と明かしつつ、「最初のころの親近感は失われていった」とも告白する。
「ききょうという人間は、あけすけで奔放なキャラクターだと思いますが、人って決してワントーンはない、時と共にグラデーションしていくから、ききょうもきっとグラデーションしていったというのはあると思います。その中で『私だったらこういう態度をとらないかもな』とも思うときもありましたが、それはきっと私の人生ではまだききょうにとっての定子様に匹敵するような“光る君”を失っていないからなのかもと。そんなふうなことを考えました」
◇「一番しんどかった」和歌の会への乱入…
そんなグラデーションしていったききょうを演じてきて「一番しんどかった」と話すのが、第41回「揺らぎ」(10月27日放送)で、彰子(見上愛さん)の藤壺で開かれた和歌の会にききょうが乱入したシーンだ。
一条天皇(塩野瑛久さん)と定子の第一皇子・敦康親王(片岡千之助さん)を思っての行動ではあったが、ききょうは、「もう敦康様のことは過ぎたことにおなりなのでございますね」と、彰子を一方的に批判した。
「一番しんどかったです。撮影日がくるのが嫌だなと思ったくらい。次のシーンのまひろの日記があるがゆえ、今まで以上に印象的な展開でなければと。苦しかったですが、心を鬼にしながらも、心で泣きながら挑みました」
脚本の大石静さんに対しては「さすがです」と賛辞を送るファーストサマーウイカさん。
「ききょうは定子様が崩御されてから、『闇堕ち』とネットで表現されることもありましたが、ききょうにとっての“光る君”だった定子様が亡くなり、光を失ってしまった。闇に堕ちたのではなく、闇に包まれて何も見えなくなってしまったのかなと私は解釈していました。そして、定子様へのゆるがぬ信念や使命感ゆえに、闇の中でもがき苦しみ、悲しみが恨みになりどんどんと増長して、あのようになってしまったのだと、寄り添う気持ちでききょうと向き合いました」
◇大河のことが頭をよぎらない瞬間はなかった
そんな敵意むき出しだったききょうだが、第43回(11月10日放送)では「恨みを持つことで、己の命を支えて参りましたが、もうそれはやめようと思います」と突然の“終戦宣言”。ファーストサマーウイカさんは「簡単に表現すると『牙が抜けた』『憑(つ)きものが取れた』というか」と話す。
「急に糸が切れる瞬間ってありますよね。ものごとを頑張っていたときにプツンッてなって、『もう無理、や~めた』って瞬間。それに近い諦め、あるいは“引退”のような感覚。台本には描かれていない部分なので、想像でしかありませんが、そんなふうにうらみつらみがふっと消え去ったのかなって」
前述のシーンに限らず、随所に存在感を発揮したファーストサマーウイカさんは、ききょう/清少納言として生きた時間を「ききょうという荷を下ろさずに生き続けた1年間」と位置付ける。
「大河のことが頭をよぎらない瞬間はなかったですし、そのために(普段)髪形も“姫カット”にして。そうすると、どこに行っても『なんか和じゃん』と聞かれて、私も『今、大河で、平安を』と答えることになる。そうやって常に自分に大河を課そうとした1年。それが心地よい瞬間もあれば、重圧にもなりましたが、そうじゃないとやれない、忘れたら終わりだという思いもありました。ここで得た経験は特別で、私が今後エッセーを書くことがあるなら、きっとこの大河ドラマ『光る君へ』は必ず章段として書くだろうし、死ぬときには走馬灯に必ず出てくるだろうなというくらい、体に刻まれたと思います」