貴島孝雄:マツダ元エンジニアが語る「ロードスター」が売れ続けるワケ 参考にしたのは「ポルシェ」

10月5日放送の「おぎやはぎの愛車遍歴 NO CAR, NO LIFE!」の一場面(C)BS日テレ
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10月5日放送の「おぎやはぎの愛車遍歴 NO CAR, NO LIFE!」の一場面(C)BS日テレ

 マツダの元エンジニアで、スポーツカー「ロードスター」「RX-7」などの開発に携わった貴島孝雄さんが、10月5日午後9時から放送のバラエティー番組「おぎやはぎの愛車遍歴 NO CAR, NO LIFE!」(BS日テレ)にゲスト出演する。この日は「Mr.ロードスターが語る!いとしのロードスターSHOW」と題し、今年で誕生35周年を迎えた世界的人気スポーツカーの歴史を振り返る。

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 今年5月の放送回にも登場した貴島さん。前回は、貴島さんが「Mr.ロードスター」と呼ばれるに至った経緯や、“鬼の鬼島”とも称された妥協を許さない開発姿勢などが紹介された。今回は実際に開発した車を、貴島さんに振り返ってもらう。

 バブル期の1989年に誕生した「ロードスター」は、4代目になった今もなお世界中で売れ続けるライトウェイト・スポーツカーで、累計販売台数は120万台以上。MCの「おぎやはぎ」小木博明さんはほぼ初めて接するオープンカーに心躍ったと述べ「すぐレンタカーを借りに行ったの。マニュアルで。日光に行ったよ。いい思い出です」と回顧する。

 貴島さんは「すんなり生まれたわけじゃないんですよ」と証言。ライトウェイト・スポーツカーは1960年代、世界的に開発が進んだものの、その後忘れ去られたように尻すぼみとなった。

 貴島さんが開発の参考にしたのは、ポルシェだった。「ドイツ車はクルマと人とのコミュニケーションがすごいんです」と貴島さん。「マツダにはドイツの市場で評価されないクルマはダメだという考えがあった」とも。番組では「いつかはポルシェ越えを」と貴島さんが参考にした1台も登場する。

 眠っていた市場を掘り起こす形で大ヒットしたロードスター。35年もの間、売れ続けているが、貴島さんは「結局お手軽に造ったクルマはダメなんです」と語る。

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