グッドモーニングショー:「踊る大捜査線」で知られる君塚良一監督がテレビ界憂う 師匠・欽ちゃんから学んだこと

映画「グッドモーニングショー」についてやテレビ界の現状について語った君塚良一監督
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映画「グッドモーニングショー」についてやテレビ界の現状について語った君塚良一監督

 俳優の中井貴一さんがワイドショーのキャスターに扮(ふん)し、女子アナに交際関係をバラすと迫られたり、プロデューサーから番組の打ち切りを告げられたり、果ては、立てこもり犯人と交渉する羽目に陥ったりと、災難だらけの1日を追ったコメディー映画「グッドモーニングショー」が8日に公開された。メガホンをとったのは「踊る大捜査線」シリーズの脚本で知られる君塚良一さん。監督5作目となる今作で、初めてコメディーに挑戦した君塚監督に話を聞いた。

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 ◇頑張る姿はいい意味での喜劇

 ――ワイドショー番組に、日ごろどのようなことを感じていますか。

 僕は、基本的にテレビの人間なんです。映画もほとんどテレビ局に出資してもらっていますし、しかも師匠は萩本欽一。彼から常に言われたのは「とにかく視聴者のことを絶対忘れず、自分の主張を前に出すのではなく、面白く見てもらうことを考えろ」と。その教えを守っていますから、それからすると、僕はバラエティーとか情報番組はすごく正しいし、すごく大変なことをやっていると感じるんです。見せ方のための工夫とか、本当に一生懸命やっているのは間違いないです。ただ一方でそれが、くだらないとか、真実を伝えていないという言い方をされてしまう。その中で頑張っている彼らは、僕にとってはいい意味での喜劇なんです。一生懸命やっている人たちの面白さとか頑張りを感じて、そこを描いてみようと思ったんです。

 ――「踊る大捜査線」同様、組織の中で生きる人間の信念を描いていますが、同時に、サラリーマンの苦労を感じました。

 今回、テレビとは何ぞやと考えたときに、テレビは今、例えば視聴率が悪いとかいろんなことを言われていて、突出した企画やいい意味での乱暴な企画が出しにくくなっている。そういった中で、取材でテレビの現場の人に話を聞くと、組織の中の駒にはなりたくはない、だけどそうならざるを得ないみたいなところを、ちょっと感じたんです。それをそのまま見せるという手法もあるけど、今回はエンターテインメントなので、硬直した組織の殻を破ろうとしている人たち、そのためには、コンプライアンス(法令順守)的には間違ったことをやってしまったりするけど、その中から、実は何かが生まれるんじゃないのというところを、ファンタジーとして描いたつもりです。

 ――テレビマンに送る君塚監督なりのエールを感じました。

 僕としては皮肉のところまでなんです。エールまではいっていない。ただ、見ていただいたテレビやマスメディア系の方たちの中には、エールと取る方もいます。

 ◇笑いは怖い

 ――苦労したシーンを教えてください。

 やっぱり笑いの部分ですね。僕は、師匠が日本でトップクラスのコメディアン、萩本欽一ですから、うまくいかなかったら、師匠にも師匠の周りの人たちにも、お前は何を学んできたんだと言われちゃうだろうなと、そういう恐怖やおびえもあって、笑いの部分はすごく悩みつつ撮りました。初めてなんですよ、監督としてコメディーを撮るのは。だから、明るい色あいのポスターも珍しいんです(笑い)。

 ――笑いのシーンは脚本を書きながら湧いてくるものですか。

 そのへんは、萩本から教わったことですから。下ネタやダジャレはやらないとか、こけたりはしないとか、ポリシーがあるから大変ですけどね。ところが、笑いの演出はしたことがない。だから、すごく難しかったですよ。コメディーというのは悩み出すとダメみたいでね。そもそも、脚本を書きながら、これ面白いのかなって悩んでますよ。笑いって、突き詰めると、そのときの時代とか経済状態に関わってくるんです。これは受けないなとか、これはマジ過ぎるなとか。滑ったときの恐怖というのも、僕は演者じゃないけれど、作家としてはいくらでも経験がありますから。絶対受けると思ったところが、収録のとき、つるっといっちゃうとかね(笑い)。笑いは怖いです。一番難しい。中井さんも言っていました、コメディーは難しいって。

 ――その中井さんの演技が絶妙でした。

 今テレビは、面白いものを一生懸命提供している割には、現場の人間からするとちょっと“いじめられている感”がある。その、ある種の象徴が、中井さん演じる澄田真吾なんです。中井さんは、笑いのために何でもやります、ということではなく、一つ芯があって、常に台本に戻ってリアルかどうかと考えた上で演じてくれるんだけれど、“受ける”という部分では躊躇(ちゅうちょ)なくやってくれる。例えば、防弾スーツを着てくれるとかね(笑い)。なかなかああいう役者さんはいないと思います。

 ◇新しいものを生み出す“芽”はある

 ――君塚監督は、いわゆる、1980年代の“テレビの黄金期”をご存じですよね。当時と比べてテレビは変わったと感じますか。

 基本的には変わらないと思うんです。ネットの存在を挙げる人がいるけれど、かつてそれは、電話やハガキだった。ドラマを書いているとき、「とてもありがたい」と言ってくれる人もいれば、「こんなくだらないドラマをどうして作るんだ」と言う人もいた。ただそれは、僕とその視聴者との個人的な対話だった。それが今は(ネットで)みんなが共有して拡散しちゃうから、いろんなことが起きてしまう。

 実はテレビって、スイッチを入れれば見れちゃうし、つけっ放しでいると見たくもないものを見ちゃうという非常に変なメディアなので、腹が立つことも多いんです。しかも、もっと面白いものをと求める視聴者に対して、作る側が、「あなた様の言う通りでございます」と若干ひれ伏しているところがある。より面白いものを作っているうちに「飽きちゃった」と言われれば、「そうですよね」という。でも、それは今に始まったことではなく昔からあることで、その中でみんなが悩み、いろんなことを試しながら新しいことに挑戦してきた。それが、今はスパンが短いから、新しいことをやっても早いうちに結論を出されちゃったり、下手をするとたたかれたりして、テレビマンがテレビマンとしての才能を発揮する時間がない。そこは残念ですよね。前は、半年くらいの“猶予”があったんですよ。バラエティーも、コーナーを修正したりしながら長寿番組になっていくんですけれど、今はなかなかそこまで待ってくれない。

 ――そういった状況に風穴を開けられる?

 僕はできると思います。それは、ひょんなことですよ。誰かによる突出した企画ではなく、流れとかいろんな中で結果的にできちゃった、みたいなね。ショッピングチャンネルや、目的もなく散歩する番組も、誰が考えたのかというと、予算が少ないからとか、いろんなことで起きたわけです。だから別のところからそうやってまた新しいものが生まれると僕は思うんです。その芽はある。少なくともテレビマン……というより、あらゆる創作者は、一生懸命投げないでやっていますからね。

 ◇原点に立ち戻った5作目

 ――その思いを作品に託したのですね。

 だから、エールととられているのだと思います。でも、僕の中では、やっぱり皮肉なんです。だって、基本的にはこの映画で描いているのは、テレビメディアがサービス過剰になって暴走しているという部分ですから。冷静に見れば、隠しカメラとかとんでもないことをやっているわけでね。だけど、エールと言われるということは、みんなが同じことを……テレビマンとして、このままでいいんだろうかとか、もっとやりたいと思っていらっしゃるのかなと感じますよね。

 ――この5作目の監督作を、改めてどうとらえていらっしゃいますか。

 エンターテインメントという、いわゆる、僕の中における原点ですね。前作「遺体 明日への十日間」(2012年)は、僕にとっては非常に特別な作品で、次の作品をどうしようといろいろ悩みました。それで2年も3年もかかってしまったんだけど、今回は「踊る(大捜査線)」のころの、とにかく観客を楽しませ、そして奥の方にちょっと何かを残しておく、そういう原点に立ち帰りました。とにかく観客の皆さんには楽しんでほしいです。楽しんだ上で、何かを感じてもらえればと思います。

 <プロフィル>

 1958年生まれ、東京都出身。日本大学芸術学部卒業後、萩本欽一さんに師事し、バラエティー番組の構成作家としてキャリアを積む。脚本を担当した初の連続ドラマ「ずっとあなたが好きだった」(92年)で“冬彦さんブーム”を巻き起こし、以降、「誰にも言えない」(93年)、「コーチ」(96年)といった人気ドラマの脚本を執筆。連続ドラマ「踊る大捜査線」(97年)は、のちに映画化もされ大ヒットした。「MAKOTO」(2005年)で監督業に進出。他の監督作に「容疑者 室井慎次」(05年)、「誰も守ってくれない」(08年)、「遺体 明日への十日間」(12年)がある。

 (取材・文・撮影/りんたいこ)

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